Uターン転職体験談|地元の中小企業に転職してうつ病で退職した話

2017年5月15日、33回目の誕生日を迎えたその日から、私は会社を休職した。

先月、35年ローンで買ったマイホームに引っ越したばかり。2歳の息子と妻がいる。

とても会社を辞められるような状況ではなかったが、もう限界だった。

結局、休職中の2週間は起き上がることすらできず、最後はLINEで辞意を伝えた。

地元福岡にUターン転職で戻ってきてから、わずか1年3ヶ月後の出来事であった。

地元福岡にUターン転職した理由

Uターン転職する前は、新卒で入った大手企業に勤めていた。

最初の配属は国内営業。

深夜残業、休日出勤も当たり前のなかなかな職場であったが、上司や先輩に恵まれ、それなりに楽しく仕事していた。

将来は海外駐在員になりたいと思い、休日は疲れた身体に鞭打って英会話教室へ通う日々。

TOEICの点数はあまり伸びなかったものの、上司が推薦してくれたおかげで、念願の海外営業部に異動することができた。

そこで海外駐在員を目指して誰よりも仕事を頑張っていたつもりだったが、命じられたのは某自動車メーカーのOEM営業部への異動。

まさか国内で転勤することになるとは、目の前が真っ白になった。

あの時、「NO」と言えなかったことを、今でもたまに後悔することがある。

でも、あの時に何回戻ったとしても、結果は同じだろう。

私は「NO」と言えない性格なのだ。

自分の希望ではなく、相手が喜ぶであろう返事をしてしまう。

絶対に行きたくなかった部署への転勤

OEM営業部は、某自動車メーカーの下請けとして、まさに奴隷のように働く部署である。

新卒で入社した当初から絶対に行きたくないと思っていたし、海外営業部から行きたいという人は一人もいなかった。

だが、色々な積み重ねがあって、私が飛ばされることに。

その経緯については、また別の記事で書こうと思う。

心の底から行きたくないと思っていたが、「期待に応えられるよう頑張ります!」と、勢いよく返事をしていた。

自分をよく見せようとしてしまう、プライドの高い私の悪い癖だ⋯⋯。

異動先でメンタル崩壊

案の定、新しい部署は忙しすぎた。

職場はストレスで満ちあふれ、異動してきた私のことを気にかける余裕など、誰にもない。

まともな引き継ぎもなく放り出された。

入社7年目とは言え、ここでは新人も同然。

探り探り、社内にも気をつかいながら仕事を進めるも、何か爆弾を抱えているような(実際に爆弾はいくつかあった)、常につきまとう不安⋯⋯。

一言で、辛かった。そして病むのも早かった。

転勤して1ヶ月後にはメンタルクリニックを予約。

今すぐにでも行きたかったが、予約が取れたのは2週間後。

「みんな、病んでるんだなぁ」と、少しだけ安心した。

転職を決意

10分ほどのカウンセリングを受けた後、「レメロン」という薬を処方された。

相手が精神科医とは言え、初対面の人に10分で自分の状況を説明するのは難しい。

「こんなんで何がわかるんだろうか」と思ったが、薬を飲めば楽になるだろうと期待していたので、それを手に入れたことで満足した。

それから2週間おきにメンタルクリニックに通い、薬をもらいに行く日々が始まった。

しかし、いくら薬を飲んでも気分は良くならない。

ストレスは溜まる一方で、これを解消するには仕事を変えるしかないと思った。

今思えば、正直に話して、部署異動をお願いすればよかったと思う。

しかし、プライドの高い私は「今の仕事が辛い」なんてとても言えなかった。

私は「転職」を決意した。

Uターン転職しようと思った理由

OEM営業部に異動したのが2015年9月、その3ヶ月後の2015年12月には転職を決意していた。

とりあえず「リクナビNEXT」や「マイナビ」などの大手転職サイトに登録し、転職活動を始めた。

その時はまだ「Uターン」を考えていたわけではなく、東京首都圏での転職を考えていた。

英語と中国語が少し話せる自分には、誰もが知っているような大手企業の求人もあった。

だが、メンタルを壊したことで自信がなくなり、優秀な人材が多く集まる会社でやっていける自信がなかった。

「給料が安くてもいいから、定時に帰れて楽な仕事がしたい」
「地元福岡に帰れば、もっとのんびり暮らせるんじゃないか」

そう思った。

無知な私は、「田舎なら仕事もゆったりとしていて、給料が安くても物価も安いから豊かに暮らせる」などとのんきに考えていたのだ。

Uターン転職をしようと思ったのは、一言でいうと「楽になりたかったから」。

まさかその逆で、本格的にうつ病になってしまうとは思ってもいなかった。