人間関係に疲れて出家 – 鴨長明の人生に学ぶストレス社会の生き方

京都、「下鴨神社」の神職の家に生まれた鴨長明。

今や世界遺産にも登録されている下鴨神社ですが、その禰宜の次男として、何不自由のない裕福な家庭で育ちました。

しかし、親族との相続争いや嫌がらせで人間関係に疲れ果ててしまい、50歳で出家。

晩年は山奥に小さな小屋を建てて、そこに一人で質素に暮らしました。

その山小屋で書かれたのが『方丈記』。

「方丈」とは山小屋の広さ。一丈(約三メートル)四方、約4畳半の広さです。

狭い住まいでも一人で暮らすには十分。

人に気づかうこともない穏やかな暮らしを、長明はとても気に入っていたようです。

現代もストレス社会。

私は会社員の頃に、ストレスでうつ病を患ってしまいました。

今はできるだけ人付き合いを減らすようにしていますが、そんな私にとって、鴨長明の生き方には共感しかありませんでした。

学校や会社の人間関係に悩み、生きづらさを感じている方に、鴨長明のことをぜひ知ってほしいと思います。

父親の死をきっかけに人生暗転

下鴨神社

鴨長明が生まれたのは平安時代末期、1155年とされています。

父親の鴨長継は下鴨神社の最高責任者である「正禰宜惣官(しょうねぎそうかん)」という地位にまで昇り詰めた、非常に優秀な人でした。

しかし、1172年頃、長明が17-18歳の頃、父長継は33-34歳の若さで早世してしまいます。

この記録から計算すると、長明が生まれたのは父長継が15歳ぐらいの頃。

長明は次男なので既に長男もいたわけですが、いくら平安時代とは言えちょっと計算が合わない気がします。

また、長明は父の死を嘆き悲しみ、

「住みわびぬいざさは越えん死出の山さてだに親の跡を踏むべく」

という歌を詠んでいますが、

「もう人生がいやになった。あの世に行って父の跡を追いたい」

という自殺をほのめかす歌です。

父の死は確かに悲しい。でも、17-18歳でそこまでなるかな⋯⋯。

それはさておき、父親の死をきっかけに長明の人生は暗転。

父親から譲られるはずだった禰宜の位は親戚に奪われてしまい、誰も長明に味方してくれる人はいません。

孤立した長明は引きこもってしまいます。

出世のチャンスを親族につぶされてしまう

河合神社

引きこもっていた長明は和歌と琵琶に打ち込み、その才能を開花させます。

和歌の実力が認められ、新古今和歌集に載せる歌を選ぶ仕事に就きます。

そこでの熱心な働きぶりが評価され、ついに後鳥羽上皇から河合神社の禰宜のポストを用意してもらえることに。

河合神社は下鴨神社の付属の神社で、父長継も禰宜を務めていたことがあります。

父の跡を継げないのなら死にたいとまで言っていた長明にとっては願ってもないチャンス。

涙を流して喜びますが、下鴨神社が猛反発。

またも親族に邪魔をされてしまい、就任はなりませんでした。

いよいよ世の中が嫌になった長明は出家。

京都の北東にある大原へ移り住みます。

そこで5年ほど暮らしたようですが、人間関係の気まずさがあったのか、さらに山奥へと移ります。

そこに方丈の庵を作り、誰にも気をつかうことなく、大自然の中で自由に生きる暮らしを始めたのでした。

戦争で荒れる京都

鴨川

鴨長明が生きた時代は、平安時代から鎌倉時代へと変わる激動の時代でもありました。

戦争で京都の町中は荒らされ、400年間にわたって停止されていた死刑も復活。

鴨川の河原は血で赤く染まりました。

極めつけは福原遷都。

平清盛の思いつきで、現在の神戸市内に福原京を建設。

1180年、平安京から福原京への遷都が強行されました。

しかし、福原京は土地が狭く、新都建設は難航。

計画が行き詰まり、わずか数ヶ月で「やっぱりやーめた」と京都に戻ることに⋯⋯。

その翌年、1181年に平清盛は「謎の熱病」で死去。

1185年に平氏滅亡。鎌倉時代が幕を開けます。

火災、竜巻、飢饉、大地震と続く災害

火災、竜巻、飢饉、大地震と災害も立て続けに起きました。

1177年の安元の大火では平安京の3分の1が焼け、立派な屋敷も燃え尽きてしまいました。

1180年、福原遷都の直前に発生した治承の辻風。

巨大な竜巻が発生し、建物を吹き飛ばします。

その翌年の1181年から1182年にかけては養和の飢饉。

人口10万人ほどの京都で、4万人以上の餓死者を出します。

死体は外に放置され、人肉食もあったそうです。

そして1185年には元暦の大地震。

推定マグニチュード7.4とされる大地震により、ほとんどの建物が倒壊しました。

1177年から1185年の8年間でこれだけの災害と戦争⋯⋯。

控えめに言って、超悲惨な時代です。

悲惨な時代を生き抜く鴨長明の生き方

方丈記は、

「ゆく河のながれは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつむすびて、ひさしくとどまりたるためしなし。世の中にある人と栖と、またかくのごとし」

という書き出しで始まります。

「河のながれは絶え間なく、しかも元の水とは違う。水面に浮かぶ泡は消えたり生まれたり、ずっと残っていることはない。世の中の人も家も、これと同じようなものだ」

という内容ですが、鴨長明が生きた時代は、戦争や災害によって人も家も泡のように浮かんでは消えていく時代でした。

立派な豪邸を建てても、災害が起こればあっけなく崩れてしまいます。

いつ何が起こるかわからない都会で家を建てるのはバカらしい。人が多い都会では人間関係がめんどくさい。

長明が選んだ道は、山奥での一人暮らしでした。

人間関係のストレスを減らすために

アドラー心理学で「すべての悩みは対人関係の悩みである」と言われているように、人付き合いってストレスも多いですよね。

私は学校や会社などの組織が苦手で、それでも適応しようと頑張ってきましたが、最後はうつ病になってしまいました。

今はできるだけ人に会わないようにしたり、お金になることよりもストレスのないことを選ぶようにしたりしています。

仕事も家で一人でできることがほとんどなので、会社員の頃に比べるとだいぶストレスが減りました。

今ストレスを感じることと言えばスマホの通知。

最終的にはスマホを捨てて、鴨長明のように山奥でひっそりと暮らしたいです。

戦争や食糧危機に備えるために

現代もまた、激動の時代です。

新型コロナウイルスでここまでガラッと世の中が変わるのですから、これからは何が起きてもおかしくありません。

戦争や食糧危機の可能性も十分あると思っています。

戦争が起きると、まず攻撃されるのは都市部でしょう。

都市部よりも農村、農村よりも山間部の方が攻め込まれる可能性は低いですよね。

食糧危機が起きると、お金よりも食べ物の価値が上がります。

1万円札はただの紙なので、何枚あってもお腹いっぱいにはなりませんよね。

戦後の日本で食糧が極端に不足していた時、都市部の人々は着物や指輪などを持って農家を訪ね、野菜や芋などとの交換を求めました。

ですが、なかなか交換は成立しなかったそうです。

着物や指輪があっても食べていけませんから、当然ですよね。

私も自宅の庭を畑にして、野菜の自給自足化を進めています。

また、狩猟免許も取得するつもりです。

ですが住宅街なので、食糧危機が起きれば交換を求められたり、作物を盗まれたりするリスクがあります。

なのでやはり山奥が一番かなと思っています。

ストレス社会の生き方

ストレスは解消してもまた溜まるだけで、ストレスの原因を取り除かないとなくなりません。

私は会社員の頃、平日に溜まったストレスを週末に解消する、ということを繰り返してきました。

結局、解消が追いつかなくなり、うつ病で退職。無職無収入となってしまいました。

我慢し続けていると、私のように突然無職になってしまうかもしれません。

ちょっとキツいなと感じたら、早めに対処してください。

もし会社がストレスであれば、転職して環境を変えるのが一番。

脱サラを目指して副業を始める方もいますが、ストレスフルな状況で副業を始めると、さらにストレスが溜まってしまいます。

そのため、まずはストレスのない会社、仕事を探して、無理なく副業に取り組める環境を作るのが先です。

ストレスへの「対処法」は色んな本やブログで紹介されていますが、やはりストレスの原因を取り除かない限り、楽にはなりません。

鴨長明は都会の人間関係を断つことで、ストレスから解放されました。

私も山にこもって、方丈記のようなブログでも書きながら、ひっそりと暮らしたいものです。